派遣だった頃
人材派遣の会社に登録していたことがある。
まだ、日雇い労働のような働き方が許されていた時代で、一日働いては現金で報酬をもらっていた。
仕事内容は主に、スーパーでの試食・試飲だった。
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人材派遣の会社に登録していたことがある。
まだ、日雇い労働のような働き方が許されていた時代で、一日働いては現金で報酬をもらっていた。
仕事内容は主に、スーパーでの試食・試飲だった。
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一週間ほど前から、旦那が連絡もなく帰ってこないのに、息子も娘も嘔吐下痢。
その上、息子は、頭に6針も縫うほどのけがをしている。
清潔を保つために毎日、傷口をシャワーしなくてはならない。
「ごめんね、ごめんね」と言いながら、私は、嘔吐と下痢でぐったりしている息子の、縫い目のある後頭部をシャワーで流した。
“家庭人としては評価の対象にならない” の詳細は »
就職面接には苦戦した。
深い志でもあれば別だったかもしれないけど、自分がなにをやりたいか、というよりもなにができるのかが分からなかった。
企業が求める人材は、きまって創造的・意欲的で、コミュニケーション能力に優れ、新しいものを作っていく力のある人物だった。
“就活の思い出” の詳細は »
「有能な人材ですよね」私は、社長に言った。
「そうだね。上手に新郎新婦を誘導している」
ここは、とある披露宴会場。
たくさんのゲストで埋め尽くされた会場。
照明を落とした場内の中央をスポットライトで照らされながら、ゆっくりと歩く新郎新婦。
その少し前を進む男性。
時々、振り向いては、新郎新婦を手招きしながら、誘導していく。
“自業自得” の詳細は »
私はニートになってどのくらい経つだろうか?
ハロワに行くと自分の向く仕事を担当の人が相談に乗るが、行く度やっぱり合うのないなーと悩んでしまうしだが行かなくても悩むし‥とそんな感じである。
“強面の顔” の詳細は »
小学校のときまでは男女ともに「運動できる子がモテる」が当たり前だった。
100m走のタイムが20秒で、自転車に乗れるようになったのが小学6年生だった、超がつくほどの運動音痴なので、この事実が痛かった。
だから今でも女子アスリートの競技ばかりテレビで観戦していて、鍛え上げられた肉体に憧れるのかもしれない。
“運動音痴” の詳細は »